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笑いの文化

宇野小四郎

 あなたは日本がどこにあるか知っていますか。そうユーラシア大陸の東の端に南北に連なる列島である。その中で一番大きな島<本州>の北部に≪シラア≫という神が分布している。30cm程の棒に、上から何重にも布を被せて、厚くなったら上部を丸く頭のような型に紐で縛る。この≪シラア≫は2体が1組で、娘と男、姫と馬などといっている。この神はその家の代々の主婦が祀っているのだが、外出したり遊ぶことが好きな神様なので、たまに職業的呪術者に来てもらう。彼女らは≪イタコ≫と呼ばれ、大半が盲目で、死者の霊を呼び出すことを行っている。≪イタコ≫は坐ったまま両手に≪シラア≫を持って≪サイモン≫という形式の歌で、大きい家の一人娘と逞しい雄馬との恋を語る。手にした人形は多少上下したり、振り動かす程度である。これが日本の人形劇の始まった時の姿だと考えている人は多い。この1本の棒であった人形は、その後も日本の人形劇の人形の主流として各時代に変化しながら、現在の≪文楽≫の1体の人形を3人で遣う人形まで、途切れることなく繋がっているのだ。それは一滴の水が洋々たる大河になるまでの旅であった。そして私たちはその流れの中に道化人形たちの出没を見るのだ。

 大昔の日本には神を祀る儀式のための建物は無かった。神は日常は天に居て、祭りの時だけムラに降りる。その祈りの場の近くに大きな山、美しい型の山があったりすると、神は天から一旦その山に降りて、そこから祈りの場に現れることもあった。このような場合、夜中に貧しい旅人のような姿で民家を訪れて、一晩泊めてほしいとか、お腹が空いたので何か食べさせて欲しいなどと言った。そんな人を試すような行為はフェアでないといっても、相手は神様だから仕方ない。それなら神がムラに来る前にこっちから山に迎えに行こうということになって、神の降りたとされる山に入って、神がとり付いているだろうと思われる木を切って村に担いで来て、祭りの場に柱のように建てる。日本では神の数は、柱一つ、柱二つと数える。そしてこの柱に神の好きな鏡や剣、玉類などを飾る。このピカピカした反射で、祭りの場に神の精霊が飛び散る。しかしこのような祭りは規模が大きくなるほど首長層が権力を示す為の場になった。

 しかし日本にはこのような天の上に存在する神の他に、先に述べた≪シラア≫のような日常の空間に居る神、地底や洞窟、沼や池などに潜んで居る神もあった。勿論天上の神は偉い神で、地上や地下に棲む神は位の低い神で、中には天の神に何かの奉仕をする場合もあった。そして天上の神たちは祀る人たちに大体は優しかったが、この地上や地下の神の中には荒々しい神として人々に祟るものもいた。先に述べた≪シラア≫を遊ばせた≪イタコ≫のように、私たち人形劇人の先祖は身近な神を祀ることもしたが、同時に人々の生活を脅かす荒々しい神を鎮める事もした。

 神に上下があるように人にも上下がある。下級の神を祀る私たちの先祖は当然賤視されることになる。だが、天の上の神も賤しい神を無視できない、というより助けてもらわなければならない事だってあるのだ。というのはいつも天の上でのんびり暮らしていて地上のことなど関心がなかったので、地理に暗いのだ。どこかに行こうと思ったら誰かに道案内をして貰うことになる。それは何処かと何処かの境に居る神で、それが又どいつもこいつも醜い奴ばかりなのだ。太陽神≪アマテラス≫の孫≪ニニギ≫が日本を支配するため天から下ってきたときも、天と地の境に居て道案内したのは≪サルタ≫という真っ赤な顔の容貌魁偉な神だった。≪ジングウコウゴウ≫が海を渡る時、水先案内をしたのは海の底に居て顔一面に牡蠣殻が張り付いた≪イソラ≫という最下級の神だった。人形を捧げて祀る連中も、普通の人が恐れていた地理的な場所である境界を根拠として活動していた。又、上級の神は下級の神に、その場に笑いを求めた。笑いは現れた邪神を和ませ、無力にさせる力があったからである。≪ウサハチマン≫の≪クグツ≫は、この地方の≪ヤマト≫の反乱に際して≪クグツ≫の人形の踊りに≪ハヤト≫がだまされて見物に出てきたので、全員を殺してしまった。その有様を笑いとして演じた。醜い者、哀れな敗者を笑いの種にするのは世界の道化たちに共通していたと思う。そして道化人形の個性を導き出したのは、人々を笑わせた自身の醜さであった。

 東京から約100km北にある水戸市の≪オオノノミロク≫というやや大型の棒人形が出演する祭りがある。四方幕を張った木枠の上に人形を出して町を巡回する。木製の頭の下に120cm程の細長い棒が付いている。胴体は竹で籠のように編まれ、両手はあるが肩からぶら下がっているだけの素朴なものである。この人形を幕の上に出して捻るように動かす。その姿がこどもが「嫌だ、嫌だ」と駄々をこねているように見える。このような人形3体が出るが、その顔は歪んでいたり、目の上に大きな瘤があったり、口が飛び出して曲がっていたりで、道化人形の定形の醜い姿である。そして顔の色はそれぞれ赤と青と黄色に塗られている。これは何を意味するのか。元は中国の思想で、日本の呪術の≪オンミョウードウ≫に取り入れられた占いの考えで、世界を青は東、赤を南、白は西、黒は北で、黄色は中央を示す≪オンミョーゴギョー≫の考えを表している。近くの町に1930年まであった≪ミノリノミロク≫は、人形は5体あって、赤、青、黄の他に白と黒もあった。中世、人形は職業的呪術師の方法を取り入れて道化人形を生み出す一歩手前に至った。この異なる色で塗り分けることが、それぞれの個性を生み出す素になったと考えられる。

 日本の伝統人形劇というと誰でも≪ブンラク≫と言うだろう。人形劇の歴史を研究している人は17世紀末に≪タケモト・ギダユウ≫が大阪に≪タケモトザ≫という劇場を創立した時点を境に時代を区分している。

 17世紀初頭に≪ジョウルリアヤツリ≫の始まる前は≪ノウアヤツリ≫といって、すでに社会に定着していた芸能の≪ノウ≫をそっくりそのまま演じていたので、そこに行われていたセリフで演じる短い滑稽な劇≪キョウゲン≫は≪ジョウルリアヤツリ≫が始まっても約100年もの間、物語の各パートの間で演じていた。

 ≪カブキ≫もまた同じ内容の人間の演じる≪キョウゲン≫を行っていた。このようなセリフの喜劇は4人か5人のグループで演じられたが、登場する人形にもそれぞれの名前があった。その中には≪ノロマ≫という、頭の平らな顔の青い人形がいた。日本でノロマとは動作が遅くて知恵が足りない人を言うが、それはこの人形から始まった。≪ノロマ≫は≪そろま≫という人形と並べて組になっている。もう当時となっては観る側も演じる側も本来の意味は忘れてしまっただろうが、神を祭る時は司祭者のシャーマンが神を招く。神は祭りの場の人や人形に依り付く。依り付いた神は司祭者の問いに答えて穀物の収穫はどのようかなどを述べる。この言葉を≪ノル≫という。ただしその言葉は普通に聞いていては何を言っているか分からない。でも司祭者はこれを翻訳して分かりやすく伝える。そして神に重ねて不明な点を聞いたりする。そして神にあなたの意志は聞きました、わかりましたと答えるが、その言葉は末尾に≪ウケタマワッテ・ソロ≫≪カシコマッテ・ソロ≫と言ったので、これを候ま、≪ソロマ≫と言った。現在の日本で盛んに行われている≪マンザイ≫という芸能がある。2人1組で行う話芸であるが、現代的な工夫はいろいろ取り入れられているが、1人は≪ノロマ≫と同じような役割で≪ボケ≫と呼ばれ、片方も≪ソロマ≫と同じように質問や解説をする≪ツッコミ≫という組み合わせは守られている。日本の現代の笑いの芸能は、1000年以上昔の東アジアシャーマニズムのパロディを演じているのである。

 17世紀京都、大阪、江戸などの大都市の劇場では≪カブキ≫と人形劇の≪キョウゲン≫は盛んになった。特に人形劇の場合≪ジョールリアヤツリ≫は中世に発祥した≪カタリモノ≫の形式であるのに対して≪キョウゲン≫はセリフによる劇である。17世紀、都市には大勢の人が流入していた。新しい環境の中で人々はストレスが溜り、劇場で感情の解放と浄化を求めた。このとき都市に渦巻いていた方言を共通語にしていく動きに≪キョウゲン≫は大きな役割を果たした。観客のおしゃべりへのあこがれは≪コウジョウニンギョウ≫という司会や漫談を専門にする人形を生んだ。
  1586年から1611年まで在位した≪ゴヨウゼイ≫天皇が、自らの手で遊んでいたと伝えられる≪キラクボウ≫という人形が京都にある。30cmにも足りない小さい片手遣い人形である。ふっくらとした丸顔で、頭は禿げている。衣服はゆったりした裾長に巾の広い筒袖の綿入れで、現在でも中国南部沿岸地方に見られる≪ポーテイヒ≫である。これは現存する最古の片手遣い人形であることに間違いない。それから100年程後の1690年に出版された≪ヤクシャエズクシ≫という当時の有名な≪カブキ≫と≪ジョウルリ≫の演者を紹介した画集である。その中の≪イズミタユウ≫の楽屋の絵に≪ノロマ≫がいる。頭は禿げて中国式の筒袖の衣裳を着ている。道化はその姿形だけでなく、中世にはなかった道化という概念も伝播した可能性も考える必要がある。

 民衆が日常使う言葉を発展させた≪キョウゲン≫は、封建的な身分制度を乗り越えた次の時代を生む可能性も感じさせるのだが、これはあっけなく消えた。そしてその理由もまた大変もっともなものであった。≪チカマツ・モンザエモン≫は日本の人形劇の歴史の中で最高の優れた作家であった。彼は多くの作品を≪カブキ≫と≪ジョウルリアヤツリ≫のために書いた。彼は田舎から大阪に出てきた若い貧しい男女を主人公にして≪ジョウルリアヤツリ≫で初めての現代劇を書いた。それは≪ソネザキシンジュウ≫という題名で、若い二人が大都市の片隅で自殺しなければならなくなった事情を1日の出来事として描いて、大成功を納めた。この作品は1日の劇の最後の演目で、比較的短かったので、パートの間に≪キョウゲン≫が挟まれてなかった。≪チカマツ≫はその後も現代を描いたが、そこでは≪キョウゲン≫は上演されなかった。他の作者たちもこれに習った。しかし劇場の主流であった、時代を昔にとった劇では、依然としてパートの間、間に≪キョウゲン≫が上演されていた。しかし転機はやってきた。≪ギダユウ≫が死んだ後、後継者の≪マサダユウ≫はまだ若く≪タケモトザ≫は危機に陥った。このとき≪チカマツ≫は≪コクセンヤカッセン≫という大作を書いた(1715年)。これは今迄の格式構成を持った劇であるから当然パートの間に≪ノロマ≫たちの劇が上演されるはずであったが、この作品は昔の時代の話というより、つい最近の中国で、明国が滅亡した大事件を画いた劇であったので、外国を舞台にした特別な現代劇として≪ノロマ≫たちを舞台から追放した。他の作者たちも待っていたように≪キョウゲン≫を廃止した。人々に笑いを提供し、陽気でおしゃべりな連中は消え去り、日本のセリフの対話劇は発展しなかった。当時の大作主義の流行で人形遣いの需要は多かったので、そのまま今までの劇場に吸収された者も居たが、外に出て行った連中のなかには小さな演芸場で演じたりして、しぶとく生き残り200年後の1915年、東京郊外の金持ちの別荘のパーティーでこの≪ノロマニンギョウ≫が上演されたと、有名な小説家≪アクタガワ・リュウノスケ≫が記録をしている。

 現在日本には伝統的人形劇を演じるグループは120ほど存在する。その中に僅かではあるが300年前に都市の舞台から姿を消した≪キョウゲン≫の舞台を見ることができる。新潟県佐渡島には伝統的人形劇の座が10組以上活動しているが、その中の特に古い時代を反映した内容を上演している≪コウエイザ≫には、≪ジョウルリ≫のパートの間に上演する≪ノロマキョウゲン≫が5作品ある。それは短い喜劇で、青い顔の≪シモノチョウ≫、黄色い顔の≪キノスケ≫、白い顔の≪オハナ≫、赤い顔は≪キョウゲン≫には出てこないが≪イバラキ≫という魔王のような性格の人形である。黒顔も以前は居たはずだが、それに当てはまる人形は今は存在しない。水戸の≪ダダミロク≫は顔の色は違っていても道化的な性格は一様であったのに対し、佐渡の場合は色の違いは役柄、性格の違いになっている。中世的祭りの世界から、個性を持つ近世的、民衆的な道化への変化であろう。佐渡では100年程前に多くの座が廃絶した。その中で唯一生き残ったのが≪コウエイザ≫である。しかし廃止された座の人形の一部は残されていて、その中には≪キョウゲン≫の人形もあり、いろいろな性格を持っていて、道化人形の人気がその座にとって大切だったことがわかる。それら道化の中には≪コウジョウ≫人形という、挨拶や解説を専門とする人形もあった。この軽妙なおしゃべりの人形は石川県≪ヒガシフタクチ≫の古い人形劇でも使われているが、西方の九州という地方の宮崎県≪ヤマノクチフモトブンヤ≫人形という座にも≪キョウゲン≫2作が残っている。道化人形は4体で≪ヤゾウ≫≪タロウ≫≪ゴロウ≫≪タカサゴノババ≫である。≪タロウ≫≪ヤゾウ≫などは300年前、大阪や江戸で人気のあった道化の名前である。宮崎の隣の鹿児島県の≪トウゴウマチ・イワフチニンギョウオドリ≫には道化人形が3体ある。以前は2本の≪キョウゲン≫を演じていたが、今は踊りを踊るだけになった。さらにこの鹿児島から海を渡って西南に500kmの石垣島にも、きわめて卑猥な男女2体の≪キョウゲン≫の人形があったが、このような人形は佐渡にもあった。呪術の笑いにはセクシャルな部分が付きまとっていた。

 青森県に≪キンタ・マメジョ≫という人形の座がある。初代は20世紀になってから始めて、現在3代目であるから古い座とは言えない。しかし初代は街頭で演じていた飴屋からこの芸を習ったという。この座は≪キンタ≫と≪マメジョ≫という2人が劇の合間に滑稽な会話をするのが人気である。300年前、華やかな中央の舞台から姿を消した道化の一部は、大道芸人として生き延びたのである。セリフで劇を演じる≪キョウゲン≫も短い間に北日本に広まり、30を超す職業的な座ができた。西の四国高知県でもセリフで演じる≪サイバタ≫が盛んになって、これも30以上の座が活動した。

 1920年代から日本にはヨーロッパの人形劇の影響を受けた新しい人形劇が始まった。1945年以降は急速に発展を見せて、100を越す職業劇団が活動するようになった。その中でも1920年代に活動を始めた人形劇団プークは日本の伝統人形劇に注目し、そこから学んだ。そして劇団特有の司会人形≪プーキチ≫を生み出した。彼は正に日本の永い道化人形の系譜を現代に受け継いだ人形である。

Do you know where Japan is located?  Yes, it is beyond the far-eastern end of the Eurasian continent, on the Japanese archipelago from north to south.  On its largest island, Honsyu, gods called Shiraa spread in northern land.  A foot-long stick was covered with layers of cloth, and its top was tied with a string to make it a shape like a round head.  A pair of Shiraa figures symbolized a girl and a man, or a princess and a horse, etc.  Those gods were worshiped by wives, generation after generation; however, professional magicians were called occasionally because the gods enjoyed going out and playing.  Those female magicians were called Itako; most of them were blind, and they communicated with spirits of the dead.  Itako sat on the floor, holding a Shiraa figure in each hand, and her song of Saimon told the love story of the only daughter of the rich household and the sturdy horse.  The figures/puppets were manipulated sometimes, vertically and horizontally.  This is said to be the origin of Japanese puppetry.  The stick puppet method was processed and developed in the meantime, always as the main style in Japanese puppetry, to Bunraku with each puppet manipulated by three puppeteers.  The clan of the puppets developed like small drops of water that later changed to a great river to the ocean.  And, in this stream, we see fool puppets from time to time.
In ancient Japan, there was no building for ceremony toward gods.  Gods were in heaven as a rule, and they came down to the villages at festivals.  If there was a great, beautiful mountain near the prayers’ site, gods stopped on the mountain temporarily and then they visited people.  In such case, a god would be appear in midnight as a traveler in poor costume, who asked for lodging or some food.  Such manner might have been unfair to test people; but it was a god anyway.  Then the villagers thought they would go to the mountain to see the god, rather than having a sudden visit.  In the mountain, they cut a tree that was spiritualized (probably) by the god; they carried it to their village; and they made it a pole /hashira at the festival site.  In Japan, god is countable; one pole, two poles, and so on.  Those poles are decorated with the god’s favorite items such as mirrors, swords, gems, etc.  The items make reflections that scatter the god’s spirit over the festival site.  The larger the festival, it became a tool of the rulers demonstrating their power.
In addition to the heavenly gods described above, in Japan there were Shiraa gods residing in villagers homestead.  Some gods were hiding under swamps or ponds.  The heavenly gods were in higher hierarchy, while those on/under ground were in lower position.  Some of them served to the heavenly gods.  Most of the heavenly gods were generous to man, but some lower gods were violent.  Sometimes they cursed people.  The female magicians Itako played Shiraa gods; in other words, our ancestors (ancient puppeteers) worshiped friendly gods and settled violent gods at the same time.
Gods had a hierarchy, and so did men.  Our puppeteer-ancestors worshiped lower gods, and they were despised naturally.  However, the heavenly gods could not neglect the lower ones; sometimes they needed they support.  The heavenly gods lived peacefully in heaven that they were unfamiliar with earth.  They did not to know geography, and they had to ask someone to guide them.  Those guides were gods residing on borders between a land and another; somehow, many of them were quite ugly.  When Ninigi the grandchild of Amaterasu the sun god came down from heaven to rule Japan, Saruta the red-faced, scary-looking god was their guild because he was in the border between the heaven and the earth.  When Jinguukougou went across the ocean, the usher was Isora in the lowest class of gods; Isora lived under the sea, and his face was covered with oyster shells.  Also, those who prayed to gods with puppets settled in borders where ordinary people would avoid.  Higher gods ordered the lower ones to make laughter, because laughter made the evil spirits calm and powerless.  Such example is Kugutsu in Usahachiman.  At the uprising of Yamato in the region, Kugutsu puppets fooled Hayato who came to see the show.  All the Hayato were killed.  This episode was performed as a comedy.  It seems a common feature among the fool puppet characters around the world that they make laugh of ugly ones and poor losers.  Moreover, the fool puppets were characterized by their own ugliness that made the audience laugh.
In the city of Mito, approximately 100 kilometers north of Tokyo, there is a festival featuring rather large stick puppets called Oononomiroku.  The puppets appear above the cloth screen covering wooden frames built as a box that parade in the town.  Its wooden head is supported by a long stick, approximately 120 centimeters.  Its body is made of bamboo basket, and its arms are simply tied to it.  Those puppets move and twist above the screen that they look like children persisting stubbornly.  There are three puppets; their faces are distorted, a big wen is on eyes, or its mouth is sticking out irregularly.  They are typical ugly fool puppets.  The puppets’ faces are in different colors; red, blue and yellow.  What do those colors indicate?  The original idea is from China, a sort of fortunetelling that was adopted into Onmyodo the Japanese magic.  In the idea of Onmyogogyo, the world was in colors; blue was east, red was south, white was west, black was north, and yellow was the center.  There was another puppet performance in their neighboring district until 1930’s, which was called Minorinomiroku; there were five puppets in red, blue, yellow, and white and black as well.  In the middle ages, puppets adopted professional magical means; soon later they developed to fool puppet characters.  Puppet faces in different colors led to create different characters.
Japanese puppetry equals Bunraku, for most of the people.  Those who studied history of Japanese puppetry would say the epoch was at the end of the 17th century when Takemoto Gidayu established the Takemotoza Theater in Osaka.
Until the beginning of the 17th century when Joururi-ayatsuri started, there was Noh-ayatsuri.  Because it was a copy of Noh that was already established, there were Kyougen plays between each act as well.  Kyougen is short comical performance with dialogues.  Consequently, Joruri-ayatsuri also had the Kyougen part for next 100 years.
Kabuki also had the same Kyougen act.  Such light comedies of speech were played by a group of 4 or 5 characters; each puppet for Kyogen had specific name.  One of them was Noroma the puppet with blue, flat head.  In Japanese, the word “noroma” means slow and/or stupid; actually the origin of the word is the puppet character.  Noroma was in a pair with another puppet Soroma.  Probably the audience nor the performer had been unconscious of their show’s original raison d'etre.  The priest/Sherman was to call gods for the ceremony of worship; the gods spiritualized to human or puppets in the festival; those puppets answered to the priest/Sherman how the harvest would be and so on.  Those words of gods were called Noru, and they were not interpretable in general.  However, the priest/Sherman could translate those words for ordinary people.  Then people would ask another questions.  The priest/Sherman told the god that people listened and understood the god’s will; the priest/Sherman talked to the god humbly with expressions like “uketamawatte soro” and “kashikomatte soro”.  Thus the conversation was called Soroma.  Today, there is a popular two-man comic act called Manzai.  Although the performance style of the Manzai have changed with various modern ideas, one character is called Boke like Noroma who is slow and stupid, and the other is called Tsukkomi like Soroma who asks and explains.  The popular modern standup comedy in Japan is a parody of the Sherman rituals in the Eastern Asia that existed more than 1000 years.
In Kyoto, Osaka and Edo, during the 17th century, Kabuki theater and Kyougen puppets were quite active.  For puppets, the Joururi-ayatsuri was in Katarimono (narrative) style that started in the middle ages, while Kyougen was drama of dialogues.  In the 17th century, population was increasing in every city because people were moving in from countryside.  People had enormous stress in the new environment, and they needed theaters to relax and refresh themselves.  In the circumstances, the Kyougen contributed to unify different dialects gathered in the city to a common language.  People longed for talking and chatting, and Koujou-ningyou puppets became popular; those character puppets were specialized in narration and chatting.
It is said that Emperor Goyouzei, enthroned from 1586 to 1611, played with a puppet called Kirakubou.  The small hand puppet is less than 30 centimeters tall, and it is preserved in Kyoto until today.  Its face is calm and round, and its head is bold.  Its costume is a wide, long quilted tube, similar to Potehi puppets we see in the southern coast district of China.  Definitely this is the oldest hand puppet that exists.  Approximately 100 years after Kirakubou, an illustration book entitled Yakusha-ezu-zukan was published; it introduced famous performers in Kabuki and Joururi at the time.  In the illustration of Izumitayuu’s dressing room, we find Noroma.  Its head is bold and its Chinese style costume has tube sleeves.  Along with their style, it is probable that the fool puppets distributed the idea of fool characters.
Kyougen was based on daily common language among people, and there was a sign of a new age beyond feudal social structure.  However, it disappeared instantly for a certain reason.  The playwright Chikamatsu Monzaemon was the best writer in the history of Japanese puppetry.  He wrote a number of scripts for Kabuki and Joururi-ayatsuri.  In his work, he focused on a young poor couple who had moved from countryside to the city of Osaka; it was the first modern story in Joururi-ayatsuri.  The story, “Sonezakishinju”, described how and why the young couple had to commit double suicide in the big city, in the timeline of one day; the show turned out to be a great success.  Because it was played as the last show of the day in the theater, and also because it was rather short compared to others, there was no Kyougen act that usually came between main acts.  Later, Chikamatsu wrote more scripts of modern characters, and there was no Kyougen act accompanying to it.  Then the other writers followed Chikamatsu.  For a while, Kyougen existed between acts of historical stories that were still in the mainstream.  Soon came the change.  When Gidayu passed away, the successor Masadayuu was too young that the Takemotoza theater company was in crisis.  For the occasion, Chikamatsu wrote the great historical drama “Kokusennyagassen”.  It was a script with all the authentic structure: obviously there should have been Noroma plays between the main acts.  However, the story was about the fall of the Ming dynasty in China which had happened very recently, so it was considered as a special modern play about the foreign incident that Noroma was banished from the show.  Soon the other writers extinguished the Noroma acts.  The cheerful chatting characters that made people laugh disappeared from the main stage, and the plays of dialogues did not develop in Japan.  There were many job opportunities for puppeteers because large shows were in fashion at the time, and a number of puppeteers stayed in the theater.  On the other hand, some of them survived in variety shows.  In 1915, that is approximately 200 years later, a famous novelist Akutagawa Ryuunosuke wrote that he saw a Noroma puppet performance in a rich household in the suburb of Tokyo.
Today, there are nearly 120 groups of traditional puppetry in Japan.  Among them, we see some Kyougen performances that disappeared from urban theaters 300 years ago.  On the island of Sado, there are more than 10 traditional puppet groups.  One of them, Koueiza, has 5 Noroma Kyouben pieces to play between the main Joururi acts.  These are short comedies by puppets; blue-faced Shimonochou, yellow-faced Kinosuke, white-faced Ohana, and also red-faced Ibaraki is a demon character that does not appear in Kyougen.  There must have been a black-faced character, but such puppet is not inherited today.  In Dadamiroku in Mito, all the fool characters had same features although there faces were in different colors; in Sado, those colors show specific characters of each puppet.  We see a change from figures in the festive medieval age, to the modern popular fools with individuality.  A number of puppet groups extinguished in Sado 100 years ago.  Koueiza was the only one that survived.  However, some of the puppets from the extinguished groups are preserved; there are Kyougen puppets with various characters, and they indicated that the fool puppets were the company’s important performer.  Among those fool puppets are Koujou-ningyo that was specialized in narration and chatting.  Such comical chattering puppets are in the old-style puppet show in Higashifutakuchi, Ishikawa prefecture.  There are 2 Kougen puppet acts in the Yamanokuchifumotobunya puppet group in Miyazaki prefecture in the Kyushu area.  There are 4 fool puppets; Yazou, Tarou, Gorou and Takasagonobaba.  Tarou and Yazou have the same name of the fools that were popular in Osaka and Edo 300 years ago.  In the prefecture adjoining to Miyazaki, that is, the prefecture of Kagoshima, there are 3 fool puppets in Tougoumachi Iwafuchiningyou-odori.  They had 2 Kyougen acts, but today they do nothing but dance.  Across the sea from Kagoshima, beyond 500 kilometers, is the Ishigaki island where they had a pair of male and female Kyougen puppets that were quite sexual.  Similar puppets exited on the Sado island as well; there was always a sort of sexuality in magical comedy.
In Aomori prefecture, there is the puppet company Kinta-mamejo.  It was founded in the 20th century, and now it is run by the third generation; the company itself is not quite old but the founder said he learned puppetry from a candy seller on street.  The company’s popular characters are Kinta and Mamejo whose conversation is quite funny.  Some fools that disappeared from the main theater 300 years ago survived as street performers.  In the meantime, Kyougen drama with dialogues spread in the northern area of  Japan; there were more than 30 professional groups.  In the western region, in Kouchi prefecture of Shikoku, there were Saibata that had dialogue plays.  They were very popular as well and there were more than 30 groups.
Since 1920s, new modern puppetry started in Japan under influence of European culture.  It was accelerated after 1945, and today there are more than 100 professional puppet groups of such.  Among them, the Puppet Company PUK started early in 1920s.  They learnt from Japanese tradition as well.  And they created their own narrative puppet Pukichi.  Today, Pukichi is definitely a successor of Japanese fool puppets that can be traced back in long history.

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